喫茶店でコーヒーを飲んでいたらジョン・コルトレーンのGiant Stepが流れてきました。数日前に名古屋でコーヒーを飲んでいた時にも流れていて今週2回目。Giant Stepは無数にあるJazzの演奏の中でも名演とされ、街でもよく聴けます。
Giant Stepsを聴いているといつも切ない気持ちになります。それはピアノのトミー・フラナガンのこと。名演と言われるこの演奏ですがトミー・フラナガンが大失敗をしているのです。Giant Stepsはコード進行が超絶難しい曲です。私は演奏しないのでどれくらい難しいのかわからないのですが、従来の音楽理論にはないコードで曲が進むそうです。この辺りは「東京大学のアルバート・アイラー(菊地成孔、大谷能生著)」に詳しく記述されています。この本はJazzの本質が書かれていて、これからJazzを聴いてみようという人にもおすすめです。
モダンジャズの演奏は最初にテーマと呼ぶシンプルなメロディを演奏をした後、メロディと同じコード進行で各プレイヤーが順にアドリブ演奏します。楽譜は基本的にはコード進行が書いてあるだけです。Giant Stepsでも、まずジョン・コルトレーンがシーツ・オブ・サウンドと呼ばれる音を敷き詰めたようなすごいアドリブ演奏をしたあと、トミー・フラナガンがピアノソロに入ります。最初からちょっとつっかえつっかえで怪しい感じなのですが、最後の方でとうとうわからなくなり、ぼよーんとピアノキーを押さえるだけの演奏になってしまうのです。聴いているとトミー・フラナガンの「やべー。わかんなくなっちゃった」という声が聞こえてきそうです。そんな大失敗した演奏が名演とされ、演奏から65年経った今も街で流されているのです。
トミー・フラナガンは私より上のジャズ喫茶世代には「名演の陰にトミフラあり」と言われる名手です。私もソニー・ロリンズのサキソフォン・コロッサスや、カーティス・フラーのブルースエットなど、何枚かトミー・フラナガンが演奏したアルバムを持っています。どれも抑制が効いていてアルバムを引き立てる素晴らしい演奏です。そんな彼が大失敗してしまったのです。Giant Stepsにはシダー・ウォルトンという別のピアニストが演奏した別テイクもいくつか公開されていて、聴いてみるとシダー・ウォルトンはソロを弾いていないか、コードをちょっとおさえるくらいの演奏です。それくらい難しかったのだと思います。
Jazzのレコーディングは、いまの音楽のように楽器ごとに録音するのではなく、いっせいのせで同時に演奏して録音します。そして何回か演奏した中から一番良い演奏をレコードに収録します。おそらくGiant Stepsはその日に何度か演奏して、その中から収録するTakeを決めたはずですが、よりによってトミー・フラナガンが大失敗した演奏が選ばれてしまったわけです。それくらいそのTakeのコルトレーンの演奏がすごかったのでしょうが、やっぱり「そりゃ、あんまりだなー。他のTakeを選んであげれば良かったのに」とトミー・フラナガンのことを思うと切なくなります。彼自身もきっと悔しかったのでしょう。20年後の自分のアルバムでGiant Stepsを完璧に演奏しています。トミー・フラナガンにしては派手めの演奏で、さらにエンディングで少し余韻を持たせる演奏を一人でしています。
私はなぜかこのエピソードが無性に好きで、飲み会のときに人に話したくなるのです。Jazzに興味がない人にはいい迷惑ですね。なんでこの話に惹かれるのだろう。チームの中に凄腕のワンマンがいたときに、引き立て役にされる無情さなのか。それとも、そんなことには全然へこたれずにキャリアを積んでいき、20年後に自分なりの答えを出す強さなのか。わからないけど、とってもドラマを感じるのです。
今週もまたGiant Stepsが流れてくるかもしれません。そろそろ私も答えをみつけないと。

2025年10月13日
アストロライフ合同会社 代表
丹羽雅彦