企業による不正が相次いでいます。品質データの改ざんであったり、粉飾決算であったり、いろいろ形で不正のニュースを目にします。このようなニュースを目にするたびに、私はずっと不思議に感じらことがあります。不正を行うのは最終的には個人なのですが、なぜリスクをおかしてまでそんなことをするか?です。最悪の場合、刑事事件として逮捕されますし、懲戒解雇になることも少なくありません。自分がオーナーとなっている個人経営の会社ならいざ知らず、大企業でそれをやるメリットがあまりにも少ないのです。
リスクをおかしてまで、なぜそんな割に合わないことをするのか?理由の一つに、個人に負わされた過度な責任があると思います。
個人に負わされる過度な責任が不正を呼ぶ
一人ひとりに過度な責任を負わせるとき、不正が起きるように思います。私の友人に炎上したプロジェクトに助っ人として入り、何度も鎮火させてきた方がいます。その友人が語るには、炎上したプロジェクトを立て直すのに大切にしているのは、
「犯人探しを絶対にしない」
でした。犯人探しをすると正しい報告が上がってこない。皆んな自分の非を追求され、叱責されたり責任をとらされたりするのを恐れて隠すのです。このように個人の責任が過度に高まるとまず最初に隠蔽がおき、その先に不正が起きます。誰もが自分の身を守りたい。その行動が不正の温床となるのでしょう。
これはプロジェクトや組織のメンバーだけでなく、リーダーにも当てはまります。プロジェクトの失敗や、組織の業績の悪さをリーダーに押し付けると、やはり隠蔽、不正のルートを辿ることになります。昨今の企業による会計不正も叱責と過度な責任を恐れたリーダーが、処分を恐れて不正に手を染めたのでしょう。
リーダーは責任をとれるか?
そもそもリーダーが責任を取れるはずがないと私は思っています。もう30年以上昔のことです。納期の厳しいプロジェクトでシステムエンジニアであった私は、疲弊しながらお客様への対応に追われていました。そんな中、「これをやったらシステムに大きなダメージが起きるかもしれない」という処理の実行を、お客様が強く希望しました。ダメージが起きるともう悲惨な状況になるので私は実行しないことを強く訴えました。その時、プロジェクトリーダーが言ったのが
「私が責任をとるからやれ」
でした。その時に私は懸命に反論しました。「あなたが責任を取ってプロジェクトを解任されてどこかへ行き、残された我々が大変な後始末をすることになる」。リーダーに責任を取ってもらうことなど誰も望んでいないのです。その時は「そうでは無くて、解決するために他に策がないか考えましょう」と言えば良かったのですが、まだ若く経験も足りなかった私は駄々をこねることで精一杯で、そこまでは頭は回りませんでした。みんなが望んでいるのはプロジェクトの成功です。責任をとるという一言は、格好良いように見えますが、その場にいる人を思考停止させます。そうではなく、目標達成のために何ができるかを議論し尽くすのが重要なのだと思います。
皆でプロジェクトやビジネスの成功など、目的を共有し達成のために行動する。失敗した時も組織やプロジェクト全体の問題であると考え、解決のための議論を尽くし実行する。そんなことができる組織やプロジェクトは強いはずです。ちなみに当事者研究ではこれを「目的合意」と「研究文化」と呼びます。
自己責任、責任追及、無責任。今日も新聞には「責任」の文字が躍ります。でもそれが本当に解決につながるのか違和感が満載です。そうではなく、皆で目的をともにして、それに対して常に改善を繰り返す。自分の働く場はそんなチームであって欲しいと思います。

2026年3月16日
アストロライフ合同会社 代表
丹羽雅彦
ちなみに当事者研究ではこれを「目的合意」と「研究文化」と呼びます。