いらない情報

最近、若い方が「言語化できました」と話すのをよく聞くことがあります。以前は「言語化」という言い回しは聞かれなかったように思います。「なかなか上手いこというな」と感心しています。確かに人から聞いたことでスッキリすることがあります。私の場合は誰かのほんの一言で「なるほど!」と合点がいくことが多いように感じます。最近、聞いたのはこれ。

 「いらない情報ですね」

あるとき私は、自分には関係のないことなんだけれど、なんとなくスッキリしない話を聞いてモヤモヤしていました。それを察したのか、一緒にいた人が語ったのがこのセリフです。パソコンのゴミ箱に入れるように情報を捨ててしまう。その行為に驚きつつも不思議と良い気分でした。

私は幼少期から社会人になるまでインターネットが普及しておらず、情報が足りない時代を過ごしました。常に情報に飢餓感を感じて育ったせいか「不用な情報はない」となんでもいったん受け入れて、その意味を考える癖があるようです。しかし空腹の時代に肉体的に進化を終えた人類が、飽食の現代では肥満になってしまうように、情報に飽食な時代には情報のカロリー制限しないとやっぱり不健康になるようです。

前回のコラムで書いた余計な情報のない紙の本の良さも、そんなところにあるのだと思います。私はスマホの情報にむさぼりつくよう飛びついてしまいますが、スマホは集中力を奪うツールであり、これでもかと情報を浴びせてきます。広告ビジネスが大半なので、こちらの心のリソースを少しでも多く貪欲に奪いに来ます。そこで「いらない情報ですね」とばっさりやる技術が大事になるのですね。「今さらそんなことを言ってるの」という声が聞こえてきそうですが、私には意識的に情報を遮断するのは新しいスキルです。試してみようと思います。

ただ自分が聞きたくない情報はシャットアウトして、耳あたりの良いものばかりにするのも違うので、なかなか難しいスキルにも感じます。特にネットは自分と考えが似ている人と繋がり「こんなの好きでしょ」という情報が選択的に表示されます。それにより無意識に自分に都合の良い情報の世界に閉じ込められるリスクがあります。この現象をエコーチェンバー(残響室)というのだそうです。情報の過剰摂取もまずいですが、栄養バランスも大切ですね。

自分がいらない情報を垂れ流していたかも・・・

そんなことを考えていたら、実は自分自身が「いらない情報」を垂れ流していたことに気がつきました。それは会議の時に私が繰り広げるどうでもよい雑談のことではありません。あれは好きでやってるからいいんです(本当か?)そうではなくて、たとえば何かを話すときに「〇〇さん(有名人)と話したことがあるのですが・・・」のように、話にちょっとつける余計な情報を指しています。それが〇〇さんしかできない内容であった場合のように、文脈で意味を持つ場合は良いのですが、単に権威づけのために言ってしまい本論よりそっちに注目がいってしまうような失態を、私はいま思えば何度もしていました。それに気がついてからは、話すとき文章を書くときに「いらない情報」をつけていないか気にするようになりました。

冒頭に述べた「言語化」という行為も、もやもやした情報の大海原で、いらない情報をばっさり落として言いたいことにピントを合わせる技術なのかもしれません。

2026年2月9日
アストロライフ合同会社 代表
丹羽雅彦

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