企業での不正は今日も起きています。不正の際に隠蔽工作がたびたび発生するのは、一因として「個人に過度な責任が課されている」ことが背景にあると以前のコラムで書きました。厳しい叱責や人事処分を恐れて隠蔽してしまうわけです。また不正の隠蔽ではなく、事件・事故自体が個人の人事処分を避けるために発生した場合も多いと思います。
このように過度に個人に課せられた責任が不祥事の隠蔽や要因につながりますが、とはいえ問題を起こした個人は責任無しとするわけにもいかない。なかなか難しい問題です。今日はこの問題を深掘りしたいと思います。
メンバーが助け合い危機を乗り越える組織
そもそも隠蔽がおきない、不祥事もおきない、組織のメンバーが助け合いながら真摯に仕事に取り組む、そんな組織は実際に構築可能なのでしょうか。実は自然にそれを達成している集団が存在します。原子力空母、潜水艦、医療現場などわずかなミスによっても壊滅的な被害が出てしまうような現場です。
例えば、潜水艦の乗員が、整備不良などで自分のミスによって潜水艦が沈没してしまうような事態を招いたとします。(あくまで仮定です。実際には何重にも保護措置があるので、こんな事態はシステム的にほとんどの場合発生しないとは思います)。この時、その乗員は叱責を恐れて隠蔽するでしょうか。隠蔽すれば潜水艦が沈み自分も一緒に命を落としてしまうので元も子もない。上官に報告するはずです。また報告された上官も「お前の責任だ。なんとかしろ」とは言わないはずです。限られた時間・空間の中で生き延びるためにやれることを全員で探すはず。このような、潜水艦、原子力空母など、わずかなミスによって壊滅的な危機におちいるようなストレスの高い職場では「誰かに責任を押し付けず、全員で対処する」ことが自然発生的にできています。このような組織を「高信頼性組織(HRO – High Reliability Organization)」と呼びます。マンモスを追いかけていた時代の人間の集団も、高信頼性組織であったと予想されています。マンモスを倒して食糧にありつくには、リーダーに忖度する余裕はなく、リスクに対処するために若者も含めて広く情報を出し合い、全員で助け合うしかないからです。
高信頼性組織とは?
高信頼性組織は1980年代のアメリカで研究がスタートしました。スリーマイル原発事故や、スペースシャトル チャレンジャーの事故などを経て「人間には複雑なシステムを事故なしに運営はできない」という悲観論が、当時のアメリカでは主流になっていました。社会学者のペローは「ノーマルアクシデント(正常な事故)」という概念を提唱し、高度で複雑なシステムは事故が常態化する(事故の状態が正常である)と考えました。
それに反論したのが「高信頼性組織(HRO)研究」です。よく見渡してみると、少しのミスで壊滅的になりそうな複雑なシステムを運営しているのに、長い間、驚異的な安定を保っている組織があります。前述した原子力空母、潜水艦、航空管制、医療現場などです。これらの組織でなぜ高い信頼性を保つことができたのか?それが研究の発端となりました。
大都市の空港がうんと小さくなって、とても混雑している様子を思い浮かべてほしい。滑走路は短いものが1本だけ、タラップやゲートも1つずつしかない。複数の飛行機を、横揺れする滑走路に普通の空港の半分の間隔で同時に離着陸させるんだ。朝発進した機はすべてその日のうちに帰艦させなければならないし、空母の各種装備も戦闘機自体もシステムとしてギリギリの状態にあって余裕などまったくない。それから、発見されないようにレーダーのスイッチを切り、無線に厳格な統制を課し、エンジンをかけたままの戦闘機にその場で給油し、空中にいる敵には爆撃やロケット弾を命中させる。海水と油ですっかり覆われた甲板に、20歳前後の若いクルーたちを配置する。半分は飛行機を間近で見たことのない連中だ。ああ、それからもう1つ、死者を1人も出さないようにするんだ。(ワイク&サトクリフ著「不確実性のマネジメント」)
https://www.sbbit.jp/article/cont1/12057
高信頼性組織は、命ギリギリの現場だけの概念ではありません。私が仲間と一緒に推進している当事者研究(*)では、高信頼性組織こそが働きやすくインクルーシブな環境を作る鍵を握っていると考えています。これら高信頼性組織で起きている特徴をうまく捉えれば、私たちの職場でも同じ環境を構築できはずなのです。高信頼性組織で何が起きているのか。もう少し見ていきましょう。
(*)当事者研究とは困難をかかえる方が専門家に任せるのではなく、仲間との対話を通じて自らを研究することで解決しようという試みです。北海道浦河町の「浦河べてるの家」で実践された精神障害のある人々の地域生活支援活動が源流にあります。アストロライフ社は東京大学 熊谷晋一郎教授との共同研究をすすめており、誰もが困難を抱えながら働いているという前提のもと、当事者研究を企業のリーダーシップ育成や安心して働くことのできる職場づくりの支援をしています
共通目的と研究文化の醸成
高信頼性組織で注目されているのは「構造」と「文化」の切り分けです。
「構造」とは組織の階層構造やルールやマニュアル、システムなどです。一方「文化」は組織に属する人々の慣習や価値観、行動様式。何もない平時は「構造」が有利に働きます。うまく組織のオペレーションが設計されていると効率的に物事がすすみます。しかしいったん危機が起きた有事の際には「文化」が「構造」にとって変わり働きを見せます。有事の際は想定外のことが発生し、想定していた構造が破綻し想定内のルールやシステムでは対処できないためです。
それではどんな文化を構築するのでしょうか。高信頼性組織では「共通目的」が浸透しており、みな同じ危機意識をもとに行動します。原子力空母、潜水艦では「生きて帰る」がなにものにも優先されるはずです。同じく、高信頼性組織を作るには共通目的、共通の危機感を全員で共有していることで組織が機能するのです。これに関して熊谷先生からお聞きした面白い話があります。行動生態学・自然人類学者の長谷川眞理子さんによると、マンモスを狩る集団は「このチームではマンモスに勝てない」と判断すると、あっけなくチームを解散するそうです。つまり「マンモスを無事に狩猟する」という目的のみにチームが存在し、チームの維持よりも個人の命を尊重しています。
そしてその共通目的を達成するために必要な要素が「研究文化(Just Culture)」です。高信頼性組織研究ではJust Culture(公正文化)と呼ばれています。なにか問題がおきたときに犯人探しをするのではなく、組織が学び、古い常識を更新する機会ととらえて皆で学んでいく姿勢です。熊谷先生は研究者らしくJust Cultureを「研究文化」と訳されました。ミスを繰り返さないために、徹底的に原因を追求し新たな常識を更新していくのです。その研究においては、人に責任を押し付けるのでなく、組織自体に責任をおわせます。自責でも他責でもなく、無責と呼ぶ方もいらっしゃいます。
上述した少しのミスが壊滅的な被害につながる組織は、失敗が許されない組織です。言い換えると失敗から学んで研究する余裕がない組織。そう考えると研究文化は逆説的な感じもうけます。これは大きな被害が出る失敗の前の、小さな予兆も見逃さずに、研究している成果なのだと思います。
個人は無責任に免責されるのか?
この議論をすると必ず起きるのが「個人は無責任でよいのか?免責されるのか?」という疑問です。そんなことはなく個人にも責任は発生します。組織も人間の集まりですから、役割に応じて傾斜された責任は発生します。しかし個人が全ての責任を負うのではなく、免責される責任と、とるべき責任があると考えます。
(1) 懲罰的責任
これは取るべき責任ではなく個人には免責されます。懲罰は恐れを生みます。そして恐れからの行動は悪い結果を招くためです。実際、私も「怒られたくない」が目的化した結果、ろくなことにならない現実を何度も味わってきました。隠蔽もその一つです。
(2) 報告責任
これは個人に課される責任です。問題があったらまず報告。そして組織側も「悪いニュースをありがとう」と、報告してくれた人に感謝する姿勢が重要になります。有事の際は、報告の心理的な障壁を減らすのが第一です。
(3) 説明責任
問題が解決したのちに再発を防止するため「なぜ、そんな行動をとってしまったか?」「なぜ共通目的に反する行為をしてしまったか?」を説明する責任です。これも個人に課せられる責任です。ただし、その説明によって懲罰が発生しないことが求められます。
(4) 共同研究責任
失敗を繰り返さない対策や想定外の出来事に対して対処する方法を、共同で研究する責任も発生します。このときやはり重要なのは、事実に向き合う姿勢で、個人への懲罰ではないことです。
実践にむけて
理論はかなりわかってきました。あとは実践です。想像に難くなく「言うは易し、行うは難し」。実際の組織にどう実装していけば良いのでしょう。たとえば個人の責任と人事評価をどう位置付けるのか?組織構造はどうあるべきか?問題発生時の手続きは?、課題はてんこ盛りです。
私が取締役をしている名古屋大学発スタートアップであるアイクリスタルで、最近、当事者研究を始めました。企業に意図的に高信頼性組織を実装するチャレンジです。焦らず、あわてず、少しずつ進めていきます。研究した成果は、世の中に還元したいと思います!

2026年8月17日
アストロライフ合同会社 代表
丹羽雅彦