当事者研究

障害の社会モデルと、職場の心理的安全性の関係

多様なチームを率いることが求められる昨今の企業のリーダーは、やること、覚えること、経験することがたくさん。私もリーダーシップ育成に取り組んでいます。そして、その中心のメソッドとして採用しているのが、東京大学の熊谷晋一郎教授との共同研究している当事者研究です。生きていると何かと面倒なこと、困りごとがあります。その困りごとを専門家に丸投げせず、当事者である自分で研究してみよう、というのが当事者研究です。北海道浦河町の「浦河べてるの家」で実践されている精神障害をもつ方の地域支援活動が源流です。企業にもたくさんの困りごとを抱えたいるわけで、当事者研究のノウハウが活かせると考えています。

当事者研究のワークでは障害者に関する記述も多くでてきます。そのときの頻出の質問のひとつが、

 「『障がい』もしくは『障碍』という言葉を使うべきでは?」

というものです。人に対して「害」という言葉を当てるのはいかがなものか、ということと思います。実は私も当事者研究に初めて触れたときに、同じ質問をもちました。しかし熊谷先生は積極的に「障害」を使います。なぜでしょうか?

従来、障害とは人間の体の中に存在するものとされ、医学的な方法で障害を取り除くことが目指されてきました。これを「医学モデル」と呼びます。しかしものの見方を変えて、我々の住む社会が多数派(マジョリティ)向けに構築されており、少数派(マイノリティ)を受け付けていない点に注目すると違う景色が見えてきます。障害は人の体の中にあるのではなく、少数派の人と社会の「間」に存在する摩擦であるという考え方。実はこの考え方が現代では主流となっています。これを「社会モデル」と呼びます。たとえば階段は多数派には便利な道具ですが、車椅子ユーザには不便を強いる存在です。つまり多数派に便利に作られた階段と車椅子ユーザの間に障害が存在するわけです。その時、階段の横にエレベーターがあれば障害を除去することができますよね。そういう社会を目指そうというわけです。

「障害」の「害」の字を平仮名にするか漢字にするかという論争が古くからありますね。私は、医学モデルで障害を捉えたいときは平仮名で、社会モデルで障害を捉えたいときは漢字で表したいと個人的に思っています。なぜかというと、個人の中に悪いものが宿っているわけではなく、社会の側に害があるのだと言いたいからです。
(熊谷晋一郎「当事者研究への招待-知識と技術のバリアフリーをめざして」https://www.jstage.jst.go.jp/article/seisankenkyu/67/5/67_467/_pdf

そう考えると「害」の文字を避けるのは善意からスタートしていても、暗黙に医学モデルを前提としているかもしれません。

興味深いことに、この社会モデルという発想はマイノリティ運動による理念だけではなく、オイルショック以降の先進国における経済のスローダウンにも起因しています。財政規律からの要請によって社会モデルの議論が活発になったのです。1986年頃からEBM(Evidence Based Medicine)という効率化の観点からの統計学に基づく臨床医学が主流になりました。その当時に私の妻も東大の看護学校で学んでいて、私が何かで文句を言うと「エビデンスを示して」「その根拠は?」みたいな返し方をされていました(笑)。このEBMの統計的視点によって、医学的に障害を治すよりも、社会の側に潜む害を取り除くことが、経済的な合理性があることがわかったのです。ただし医学モデルが全て悪いわけではなく、医学モデルのみに頼るアプローチに問題があると考えています。

そんな理由で、私たちの当事者研究ワークショップでは「障害者」という表記を採用しています。そしてこの表記の問題は、実は企業に働く人の心理的安全性とも深く関係していると私は考えています。

組織の心理的安全性との関係は?

以前のコラムで心理的安全性が高く、多様性の高い組織はパフォーマンスが高くなることを紹介しました。逆に多様性が高くても心理的安全性が低いとパフォーマンスは悪化します。だから心理的安全性は企業収益の視点でも大切なんです。ここで心理的安全性が高いとは「等身大の自分でいても良い」ことを指しています。言い換えると「対人関係においてリスクのある行動をしてもこのチームでは安全であり、失敗や不得意なこと等、お互いに対して弱い部分をさらけだしても大丈夫だという、チームメンバーによって共有された考え(2021 当事者研究の導入が職場に与える影響に関する研究 熊谷 晋一郎・喜多 ことこ・綾屋 紗月)」と定義できます。

このことを組織で実践するには、個々の人の価値観を大切にして個人が得意としていることに眼を向ける必要があります。つまり組織として社員に一律の規範を押し付けて、個人の悪いところを矯正するのではなく「社会モデル」の発想で個人の能力を活かせる空間を作ろう、と言う発想にほかなりません。

ところでこの議論をすると、頻発する質問があります。

 「個人に合わせて環境を変えるのではなくて、各人の成長を期待してもよいのではないか?」

これはもっともな質問だと思います。しかし当事者研究では「活躍の場を作るために環境を変えること」と「個人に成長を期待すること」は矛盾しないと考えています。組織は何かの目的のために存在し活動をしています。その目的のためのコミットメントは個人に期待してよい。ただし「成長を制約する障害が環境の側にあれば取り除こう」という考えなんです。目的は明確にさし示しつつも、その人によってやりやすい方法は変わりますり。目的は共有しつつも「手段の多様性」には寛容になろう、という姿勢が重要と考えます。

まだ論点はたくさんありそうです。このテーマはこれからも何度も論じたいと思います。

2026年7月20日
アストロライフ合同会社 代表
丹羽雅彦

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